電池作りが難解なワケ:神は細部に宿る
2024年11月、欧州の旗手だったリチウムイオン電池スタートアップのNorthvoltが米国で再建型破産手続を申請しました。その後、事業再建に向けて 2025年上半期にかけて調整を続けていましたが、必要な追加資金を確保できず、2025年3月に経営破綻しました。累計約2兆円以上を調達し、数兆円規模の長期契約も抱えていた巨人の転倒は、「ヨーロッパが主権を持つ電池産業の構築」という大義を打ち砕きました。

リチウムイオン電池生産は、特に東アジア(中国・韓国・日本)のメーカーが技術も市場も圧倒的な優位を持っています。そのことからNorthvoltは「ヨーロッパの電池自立を目指す」という期待を一身に集めて、北欧をはじめヨーロッパ各地や北米にも複数のギガファクトリーの建設を打ち出し、計画・建設を進めていました。しかし、生産能力は当初目標だった16GWh(ギガワット時)に対して、実際の生産は 1 GWh に満たない水準にとどまり、、品質と納期の問題で世界的大手自動車メーカーとの契約も打ち切りとなる厳しい状況に陥ったのでした。
なぜNorthvoltは破綻したのでしょうか?
素材を含めてヨーロッパ製にこだわったことやサプライチェーン構築の難しさということに加えて、Northvolt破綻の裏にあった誤算は「製造に対する見立ての甘さ」と言われています。「合理的な机上設計の下で、十分な資本を投下して必要な装置を設置した工場を用意すれば電池を作れる」という設計偏重や製造技術への理解の浅さ、がこれまで指摘されてきました。経営層を中心にそのような考えが根強く存在し、それを軸とした人・モノ・金の規模の追及が急速に拡大し、「地に足ついたモノづくり」が執行されない状況で固定費がふくらみ続け、BMWからの大規模受注撤回が追い打ちをかける形で、破綻のトリガーを引いた、という見立てもあります。
液晶パネル、量産家電、太陽光パネル等の成熟デバイスであれば、いわゆる「ターンキー製造」(スイッチを入れれば製造完結するテンプレート的装置を用いた製造)を実現しやすい面があります。しかしバッテリー製造となると話が全く違います。実は、成功しているギガファクトリー(電池の大規模工場の総称)では、製造装置はほぼすべて電池設計に応じたテーラーメイドになっているようです。つまり、規格化された製造装置を組み合わせただけの工場は、高い歩留まりや生産性を実現することはできません。これはなぜなのでしょう?
端的な答えは電池製造が極めて複雑だからです。その複雑さが具体的にどんなものであるのかについて、業界関係者からヒアリングしたところを総合すると以下のようになります。
電池製造は、繊細かつ大規模な「料理」に例えられます。業界では「学校給食の原価と物量で、星付きレストランの技術を使い、365日24時間、同じ品質で提供し続ける」ようなものと表現されます。優れたレシピ(設計)があっても、狙った味(性能)を出すには、正しい調理器具(装置)、調理法(プロセス)、規律あるオペレーションが不可欠。電池はケミストリーが絡む「生もの」で、やり直しが効きません。EV用電池では原価率が70%以上を占め、5%の歩留まり差が収益を左右します。つまり、「製造を制する者が電池を制する」のです。
いくら電池設計が優れていても、その設計に見合った製造工程(調理法)や装置仕様(調理器具)が適切でなければ、歩留まりは向上しません。逆に、設計自体が不適切であれば、装置を最適化しても成果は出ません。電池は開発が終わりに差し掛かる辺りから始まる、製造技術構築が鍵になります。強い製造構築には、少なくとも二段階のPDCAが必要です。まず、第一段階では開発と製造を往復しながら製造プロセス・製造装置仕様を調整・検証します。言わば学校給食センターの設計です。次に、第二段階として装置メーカーとともに装置仕様を綿密に反復検証して装置仕様を最終化していきます。ここは大量調理器具の設計に当たります。このような緻密な擦り合わせの精度・スピードこそが、電池競争力の本質です。
ギガファクトリーの設備投資単価は1GWhあたり100億円を超えます。業界の標準サイズのギガファクトリーである30GWhだと3,000億円です。PDCA不足が原因で永久に歩留まりが上がりようがない装置を発注・検収してしまえば、大きな損失に繋がります。現場装置の歯車一つ、ネジ1本までこだわる必要があるのです。また、あるギガファクトリーでは、徹底した統計解析と検証を重ねても歩留まりが上がらず、最終的な原因は作業員の着衣ルール違反によるコンタミ(不純物の混入)だったという有名な事例もあります。このように最先端の自動制御が進んだ電池製造現場であっても、「神は細部に宿る」のです。
電池づくりに「ロボット職人」たちが欠かせないワケ
ここでカギを握るのが、二段階PDCAの両方に関わる製造技術エンジニアの存在です。ただし、製造技術エンジニアと一言で言っても様々なレベルがあるようです。
興味深いことに、最上位の製造エンジニアは、「ロボット職人」とも呼ばれます。その理由は、競争力のある電池製造技術には広いロボット工学技術が必要だからです。これは、装置のメカ設計(3D/2D CAD)、電気制御(PLC: Programmable Logic Controller)系設計、装置組立て、電気配線、動作デバッグ、装置改造、装置メンテ、といった幅広いロボット技術領域にわたるためです。
製造技術エンジニアの中には、簡潔な仕様書を作成し、装置メーカーと電池メーカーの間に立ってプロジェクトを進行する、いわば「調整役」としての製造技術エンジニアもいます。一方で、「ロボット職人」は、職人としてプロセスや装置をゼロから自ら構築し、さらにそれをマネジメントできる高度なスキルを持ちます。前者と後者では、技術的な深さや実行力に大きな違いがあり、この構造はプログラマーの世界にも通じるものがあるかもしれません。次世代電池の開発においては、後者のような「ロボット職人」が重要な役割を担うことになります。
しかし、あまり知られていないことですが、世界的に見ても、最上位の電池製造技術エンジニアは現在ほぼ絶滅危惧種状態のようです。
そこには歴史的経緯が深く絡んでいます。リチウムイオン電池の黎明期である1990年代、一部の日系大手リチウムイオン電池製造企業は、製造装置を内製化し、電池と装置両方に精通する「二刀流」製造技術エンジニアを育成していました。しかし、次第にリチウムイオン電池製造装置は中国へと製造移管や外注化が進み、製造における経済的合理性を突き詰める中で、こうした人材は国内電池メーカー内で育ちにくくなりました。結果、日本では最上位製造エンジニアは1990年代から2010年付近までの特定の期間と特異環境でのみ生まれた絶滅危惧種的存在になっていきました。皮肉なことに、このような一連の製造移管の流れが、現在の中国における電池製造の強さを支える一因となったとされています。
これは、Northvoltのケースにおいて重要な示唆を残します。たらればですが、仮にNorthvoltの経営層が電池製造の重要さを認識し、ターンキーでない判断を当時したとしても、最上位製造エンジニア=ロボットエンジニアを採用できず、結果ターンキーしか選択せざるを得なかった、とも言えます。また、逆に見ると、ターンキーを選択せず、ロボットエンジニアやその他製造技術エンジニアの採用とチームビルディングに成功し、ロバストなPDCAサイクルを組んだ上で製造技術を構築していれば、集めた2兆円に違った未来が待っていたかもしれません。
これが、「電池づくりにロボットエンジニアが欠かせないわけ」です。
次世代電池の最大の課題:「大規模製造技術の実現」
世の中では「次世代電池の最大の課題=高性能の実現」と誤解されがちですが、実際には全固体電池やリチウム金属電池など、さまざまな高性能設計の試作品レベルでは、すでに実現可能な段階に達しています。本質的なボトルネックは「狙った性能を大量かつ安価に、再現性高く製造する技術」が未構築である点にあります。
市場の現実に向き合いましょう。1991年にSONYが世界で初めて商用化したリチウムイオン電池は、今やコモディティ化しつつあります。つまり、製品メーカーが多額のプレミアムを支払うインセンティブは、ニッチ用途を除けばほとんど存在しません。さらに重要な点は、既存のリチウムイオン電池は日々進化し続けており、消費者ニーズを十分に満たす性能領域に到達しつつあります。これは何を意味するのか?
あなたが問われたとします:「80%までの充電時間が現在の20分から15分に改善するEV、もしくは1充電の走行距離が600kmから700kmに改善するEV、を定価の1.5倍の値段を払って購入しますか?」これにどう答えるでしょう?恐らく答えは明確にNOで、それがコモディティ化に対する一つの答えです。
これは、プラズマテレビ vs. 液晶テレビの構図であったり、液晶ディスプレイの4K/8K化における画質追求の話と似ています。人の目で識別できる視覚体験には限界があり、もはや価格プレミアムを払う価値がなくなったということです。つまり、リチウムイオン電池は消費者のニーズを「大体満たして」おり、「性能が少し良くなったから価格が倍になる」ことが許容されない世界線に来ている、ということです。人生で二番目に高額な買い物である自動車、特にEV市場では、アーリーアダプターへの普及を終え、次の消費者層の獲得フェーズに入っているため、意思決定は一層慎重になります。このような事業環境変化を考えると、次世代電池領域でこれまで以上に製造技術構築の重要性が増している、つまり「良かろう高かろう」は通じない世界線と言えるわけです。
ただ、コモディティ化が進んでいるとはいえ、「エネルギーを貯める」という人類の根源的活動を実現するこのデバイスの重要性は急速に増しており、社会においてなくてはならない存在になりつつあります。特に、リチウムイオン電池のような高エネルギー密度の蓄電池は半導体などと同列で、日本では経済安全保障推進法の特定重要物資にも指定される、国家戦略物資です(経済安全保障推進法に関する内閣府のページ)。つまり、コモディティ側面を持ちながらも、地政学要素が非常に強く、国家として安定供給が必須な特異的な部品なのです。
「AI×電池」の本質:ロボットの神経とAIの接合
AIの世界的大合唱の中で、「AI×製造業」さらには「AI×電池」、という流れも日々強くなっています。電池製造においては、上記で述べた複雑さから、多くの製造工程中のパラメーター(=説明変数)が、工程KPIや製品KPI (目的変数)と相互依存していて、それらを最適化する―。と聞くと、機械学習やAI自体が問題を一気に解決してくれ、製造技術障壁の高い次世代電池では極めて有効なのでは、と思えるかもしれません。実際こうした背景から「AI×電池」をテーマとしたスタートアップが北米を中心に次々と生まれました。
しかし、実は問題はAI自体ではなく、電池製造現場における製造装置(=ロボット)とAIの接合にあるようです。料理のアナロジーに戻りましょう。最高のレシピを実現するために、取得された調理データをいくらAIで高度に解析しても、そもそも取得対象や取得方法が間違っていれば、間違ったデータ空間で最適化がかけられるだけで、強い製造技術構築に繋がりません。製造ロボットの中外で、どのようなデータを、どのような手法で、どのタイミングで、どの解像度で取得するのか?を無数の選択肢の中から、正しく絞り込みロボットとAIのデータの「接合界面設計」が極めて重要なのです。残念ながらこれを全てAIで行うことはできません。
さらに難しいのは、このようなデータの接合界面が動的に変化することです。特に設計が確定する前の開発工程では、設計が変わるたびに接合界面設計も変化します。この変化に対応するには、分野横断的な実装作業が必要です。電池設計やプロセス設計から落とし込まれる製造装置、部品、計測機器のハードウェア実装やソフトウェア実装などが含まれます。
しかし、電池会社内には本物のロボット職人がほとんどおらず、ソフトウェアを含めた分野横断的なエンジニア集団を束ねて、朝決まった変更を午後に実装するようなスピード感で対応するのは現実的に困難です。外注による対応も、擦り合わせ工数や実装スピードの面で現場にフィットしません。これが、変化の激しい開発領域においてデジタルスレッドが欠如している大きな理由の一つです。
さらに、仮に開発領域のデジタルスレッドを紡げたとしても、開発から生産の現場で一気通貫で実装することは、容易ではありません。なぜなら、開発と製造エンジニアは別部署に所属し、別々にファイアウォール管理され、それぞれがレガシーシステムを用いているからです。
ロボット職人 × 電池職人 × AI =「TeraSpace」
この課題に対して、かつて1990~2010年代に日本の電池技術を牽引した第一線の電池ロボットエンジニアを集結させ、彼らと新世代の電池エンジニアやIT/AIエンジニアを一つのチームに融合してきたスタートアップがあります。それが次世代電池スタートアップのTeraWatt Technologyです。TeraWattは過去6年間で、新設計電池の開発から量産までを一気通貫で行える複数の物理拠点を国内に構築してきました。同時に、これらの拠点から生成される全データを、内製の「AI×電池」プラットフォーム「TeraSpace」上でコンカレント(同時進行)に処理する体制も整備しています。

TeraWatt Technologyは、日本人創業者らによって2020年に米国法人として設立されました。2025年7月には、(OpenAIに最初期に投資した)Khosla Venturesに加え、Temasek、JICといった既存投資家、さらにJBICやGX機構などの新規投資家から、シリーズCのファースト・クローズを発表しています。この記事ではTeraWattが6年近くをかけて進化させてきた電池開発・製造のソフトウェアプラットフォーム「TeraSpace」がなぜ革新的なのか、ということについて、同社代表取締役CEO兼共同創業者の緒方健氏にお聞きした話をお伝えします。
緒方CEO自身の言葉によると、TeraSpaceは簡単に言うと電池を開発製造するための「スーパーアプリ」です。
「TeraSpaceは、簡単に言うと、開発から製造の過程でエンジニアが共通して『夢見ていたが実現が困難だった』機能を具現化するスーパーアプリです。既存の電池企業とはまったく異なる、分野横断型の“特殊部隊”のようなエンジニア集団が、ONE TEAM体制で協調的に実装しています。TeraSpaceでは、これまで拾えなかった微細なデータを緻密に捉え、有機的なデジタルスレッドを機敏かつ動的に紡ぎながら、数々の『こんなのあったらいいよね』を次々と現実にしてきました」(緒方CEO)
「例えば、目の前の効果で言えばTeraSpaceは、開発から量産に至る“二段階のPDCA”を劇的に加速させます。さらに量産工場の立ち上げ期間を短縮し、歩留まりのラーニングカーブを一気に急勾配に変える。つまり、これまで“時間がかかって当然”だった工程を、TeraSpaceは“時間で勝つ武器”に変える事ができます」
「ただ、TeraSpaceの効果はそこにとどまりません。さらには、開発→量産を超えた領域での活用も大きな可能性を秘めています。例えば、出荷後の、製品運用→電池リユース→リサイクルに対しても、根源データをメーカー側と共有することで製品価値やリユース価値やリサイクルの着実な実装を加速することが可能です、これまでの電池×AIのアプリやソフトは、セグメントされた点や領域の最適化を提供してきました。しかし、TeraSpaceは電池製品というハードウェアを軸に、開発から製造にいたる電池の全情報を連続的かつ有機的に提供します。これは、従来の枠組みと全く異なるソフトウェアレイヤーです」
※(情報開示)Coral CapitalはTeraWatt Technologyの株主の1社です。

『同じ釜の飯』がデジタルスレッドを紡ぐ
英ケンブリッジ大学で博士号取得後に大手メーカーで電池開発に従事した経歴もあるTeraWatt共同創業者でCEOの緒方氏は、これまでの次世代電池の開発には、以下のような課題があると言います。
「次世代電池の多くはケミストリーに焦点が当てられた電池設計をベースに進みます。しかし、コモディティ化が進む電池の本質は製造技術であり、多くの次世代電池開発は、フェーズが開発から製造に近づくにつれ『開発できるが製造できない』問題に直面します。この傾向は技術がDisruptiveであるほど強くなります。なぜなら、Disruptiveな電池技術の多くは全く新しい製造技術を必要としますが、通常の電池メーカーでは新製造技術を有機的に構築するエンジニア体制になっていないからです」(緒方CEO)
「一般的な電池メーカーにおける開発エンジニアと生産技術エンジニアは異なる部署に所属し、そのKPI/OKRは全く異なります。次世代電池の製造技術構築はお互いが深く協業することがとても重要です。そもそもKPI/OKRが異なれば、いくら部署トップがプロジェクトの重要性を旗振りしたところで現場エンジニアは動きません。TeraWattはこの問題を解決するために創業されました」
「TeraWattが創業Day1から挑戦してきたのは、2つ。製造技術エンジニアと電池設計エンジニアが融合したONEチームを作る事。また、そのチームに同じ方向を向いてもらい、シンプルに『大規模製造技術の実装』に突き進んでもらう事。我々はシンプルな目標を定め、皆がそれに向かって『同じ釜の飯を食う環境』を整えてきました」
AI×電池のような耳あたりの良いコンセプトを本質的に機能させるためには、たくさんの泥臭い作業を潰していく必要があるようです。もしかすると最上位ロボット職人と電池エンジニアとAIエンジニアを融合させることこそ、これまで紡ぐことの出来なかったデジタルスレッドを紡ぐことができた要因であり、大きな参入障壁の一つなのかもしれません。
真の挑戦は人と制度の改革
TeraSpaceのような一気通貫のシステムを拒む開発と製造の間にはデータ統合の問題だけではく、そこで働く人材や文化の違い、組織のインセンティブのズレなど、組織的な壁もあったのだと言います。
「大企業は成果主義の中で、開発者は良いデータを囲い込んだり、失敗したデータを積極的に開示しなかったり、という構造的な問題もあるのです。これは本質的には人事制度や組織構造の問題です。それが電池開発の世界をブラックボックスにしてきた側面もあります」(緒方CEO)
こうした背景からTeraWattでは開発から製造に至る全てのデータを中央集権化し、開発速度向上や拡張性のメリットを具体的にエンジニアに示しつつ、強い意思決定によって押し切ってきたそうです。大企業と異なり、少数精鋭のスタートアップのおいてDay1から組織カルチャー醸成に取り組んできたからこそできることかもしれません。
「大手電池メーカーで、私たちがやったことを実行すると、現場のエンジニアから総スカンを食らったり、部署間調整で消耗し、プロジェクトは頓挫していたでしょう。このような見立てから、TeraWattは電池製造メーカーであるにも関わらず、創業から一貫してTeraSpaceをCEO直轄の最重要プロダクトと位置づけ、電池と同列で開発してきました」(緒方CEO)
さらに、同一組織内でも難しいことであるところ、もし外部ベンダーが絡んでくると、さらに難易度が上がっていただろうと言います。
「製造装置、計測機器、ITシステムの実装が異なる外部ベンダー任せである場合、例えば計測方法の変更に合わせたITシステムのデータ構造変更が毎週のように発生しますが、そうするとITシステムの外部委託先に仕様書をスピーディに出すのが困難です。ころころと変わってしまうので仕様に落としづらい。仕様書が流動的だと、相手もどう課金して良いかも決まりませんし、時間がかかる割に思った通りのものにも仕上がりません。さらに、外部ベンダーのエンジニアを束ねる難しさも出てきます」(緒方CEO)
「人事制度も給与体系も、使う言葉も、バックグラウンドも違う、他部署の人間を引っ付けて、電池とロボット製造とAIを融合させるのは技術的な難しさもさることながら、エンジニアのマインドセットの変革を中心としたチームや組織づくりが大きなチャレンジとなります。TeraWattでは分野横断的チームを構築する中で現場レベルで見えてきた様々な課題をベースに8つのカルチャー原則を作っています。これはトップダウンで降ろされてきた形骸化したスローガンではなく、現場エンジニアの衝突と血肉から作られたボトムアップのカルチャー原則なのです」
医療に例えると、複数の人間から複数の臓器移植を同時に行い、それでいて生体拒否反応を起こさないように健康を実現するような難易度だということです。
異なる組織や人材を統合したとき、その基底にある組織文化はどんなものになるでしょうか? 創業6年のTeraWattは伝統的製造業の知見を統合しつつ、ITやAIを扱うテック系スタートアップ的なカルチャーが全社を貫いているそうです。例えば、カルチャー原則の一つに「Try Fast, Fail Smart:早く挑み賢く失敗する」というものがあります。TeraWattでは、製造業でありながら、各プロジェクトでMVP(minimum viable product)のように最小の検証単位を定義して、賢く早く検証を繰り返すことを重視しているそうです。
TeraWattでは創業当初から、電池開発・製造のスキルに加え、TeraSpaceの初期開発はコーディングやモデリングもできる「二刀流」の人材がのり代を貼って対応してきました。TeraWattは製造業系スタートアップであると同時に、AIスタートアップ的な社内カルチャーをDNAに持っているのは、こうした背景からです。これは、OpenAIの投資家でもあるKhosla VenturesがTeraWattの最初の投資家だったことも影響しているそうです。
今後はこうした二刀流人材に限らず、特定分野に特化したエンジニアも含めて幅広い領域から仲間を迎え入れ、世界中から集まるチームの力でさらに加速していると言います。実際、IT起業経験者やITメガベンチャー出身者もTeraWattに加わり、電池・製造業領域とITの橋渡し役となりながら、IT製品としての完成度向上・暗黙知を活用したAI機能の開発改良・電池エンジニアを巻き込んだ新機能の探索などの活動を通してTeraSpaceの開発を加速させていくそうです。

数年が数分の1に:開発から量産立ち上げ期間短縮
現在TeraSpaceと呼んでいるソフトウェアプラットフォームは2020年創業初期のTeraSpace1.0から現在までに4.0まで進化しています。TeraSpace1.0ではVBAマクロやAPI連動可能なスプレッドシートアプリからスタートしています。その後は、クラウド(AWS)利用のPython/SQL/Tableauのバージョン2.0、さらにフロントエンドまで内製・サーバレス化し、動作を高速化したバージョン3.0、開発・生産データとアプリを連動させて回帰分析による問題発生時の因子特定やAIによる予測も可能となった現在のバージョン4.0まで進化してきているそうです。
TeraSpaceの存在により、開発の段階から生産の検証、立ち上げ、オペレーションまでを一貫してデジタルスレッドで繋げることができます。
開発と生産の担当者がTeraSpaceという同じプラットフォームにアクセスすることで、電池開発のリードタイムの大幅な短縮が可能となっていて、緒方CEOによれば、従来、開発から量産検証完了まで数年かかっていたものが最終的には数分の1程度になると言います。さらに、期間的なインパクトを超えて、量産ライン立ち上げ時の経済的な効果も大きいと言います
「開発が終わった後の初期量産検証コストの劇的削減にも大きな効果をもたらします。ギガファクトリーレベルでのパイロット工程検証は1バッチあたり数百万円から1000万円単位のコストがかかります。ちょうどロケットのエンジン噴射テストのようなものです。この検証に掛かるトータルコストをTeraSpaceによって従来の数分の1に減らすことが可能です。これはスケールとループ回数が大きければ大きいほどレバレッジが大きく、結果よりロバストなコスト構造を構築できます」(緒方CEO)
「TeraSpaceはギガファクトリー稼働の立ち上げ過程においても、重要な役割を果たします。工場稼働初期の歩留まりが例えば70%からスタートして、次第に95%以上に引き上げられていくギガファクトリーを想定すると、その際のロス率×材料使用量の積分値が材料ロスとなります。ここに、ユーティリティや人件費が上乗せされます。当たり前ですが、この総積分値を最小に運営していくことが重要です。この立上げにかかる費用は30GWh級のギガファクトリーで、少なくとも数百億円、場合によって1000億円以上の規模に上ります。そう考えると、この費用を数分の1にする効果大きさがイメージできると思います」
生産⇄開発の即時ループと失敗の蓄積がゲームを変える
TeraSpaceが開発と生産をつなぐことで達成できる期間短縮の裏側には、実際にどんな現場目線でのメリットがあるでしょうか。
開発から量産に移行する段階を例にとってみましょう。
「例えば、開発段階のときと同じレシピで作っているはずなのに生産時に想定より特定の部材の抵抗値が高いということが起こります。こうした問題が発生した場合に、TeraSpaceなら、問題のある工程を重回帰分析でピンポイントで特定できること、さらにその工程の中に潜り込んで、開発・生産における変化点の違いを瞬時に重ね合わせ、定性・定量的に特定できます。さらに、近年、電池性能の重要指標の一つである、急速充電性能で狙った特性が出ないときにも、設計や工程上の問題に引き戻し、即座に次の一手を打ち出すことが可能です」(緒方CEO)
つまり、どこの設計や工程がどう悪かった可能性があるか?どう対策すればよいか?を単一プラットフォーム上で、様々なエンジニアが同じ言語を使って瞬時に議論できる環境が整えられるわけです。さらに、そのようなピンポイント特定にロボット職人や電池職人の知見をハイブリッドさせ、デジタルスレッド上に記録することで、より高精度な引き戻しや、より有効な次の具体的一手の提案が可能になるのです。
さらに、自分たちが主体となって新しい電池製品の開発過程を行っているからこそ、ロボット職人や電池熟練エンジニアの暗黙知がシステムに蓄積されてゆき、ChatGPTのようなLLMを通じた解決策の提供もできるようになるといいます。
「問題発生時にTeraWatt社内の具体的な知識に基づいた解決策や推奨条件設定を瞬時に提供できます。これにより、工場の立ち上げや生産効率の向上を劇的に、加速できます。このような知見は今後さらに蓄積され、ギガファクトリーを複数拠点で展開していく際の基幹インテリジェンスとなります。これがLLMと進化融合する未来を思い浮かべてください。これは電池のスーパーインテリジェンスを構築しようとしているようなもので、ワクワクしますよね」(緒方CEO)
もともとTeraWattの強みは1990〜2010年代に日系電池メーカーなどで10年単位で電池を量産してきたロボット職人が多いという「地の利」があることですが、いまそのナレッジはAIをレバレッジしつつTeraSpaceに統合されて、拠点と時間を超えて、適用可能になろうとしています。
電池の「輪廻」をデジタルで紡ぐ
TeraWattの挑戦は、開発と量産を結ぶだけでは終わりません。彼らが見据えるのは、電池という特異な存在の一生と、さらにその先の「輪廻転生」をデジタルで描き出すことです。
TeraWattは自社を電池製造メーカーと位置づけて電池製品出荷をしていく一方で、上市前の顧客との共同開発段階からTeraSpaceをシェアしています。こうすることで、製品メーカーが電池の生データに直接アクセスし、これにより魅力的な電池の使い方をデザインでき、結果的により競争力のある製品設計が可能になるといいます。例えば、急速充電上限条件を攻めたり、電池の長寿命化につながるような、BMS (Battery Management System)を設計するなどです。
上市後のTeraSpaceの活用も特徴的です。最終製品出荷後に、TeraWattが追加取得した対象電池の詳細データをTeraSpaceを通じて顧客側に共有することで、顧客が製品にアップデートをかけることができます。TeslaのEVがOTA(Over-the-Air)によるアップデートで出荷後も徐々に進化するように、顧客側が電池パックにOTAをかけ、製品寿命を延ばすことができたり、より早く充電できたり、検知精度を上げたりするなど、新しい価値を持ち始めます。
電池は10年、20年、30年と生き続ける、ほとんど唯一無二の「要の部品」です。リユースやリサイクルによって、電池は自動車の車体寿命を超えて長く存在することになり、そのあいだにも内部は「生き物」として変化を重ねます。
「開発と量産は数年で終わっても、電池はその後最大で30年生き続ける。その時系列を追ってデータを紡がなければ、真の循環型社会は実現できません。電池のコモディティ化は加速しますが、電池が搭載された大型製品は電池の長寿命化と高性能化をドライバーとして、EVを中心に今後アセット化(資産化)が進むでしょう」
「既存リチウムイオン電池はとてつもないスピードで進化し続けています。既にEV用の「電池パック単体」では20〜30年の寿命、走行可能総距離100万kmの領域に達する勢いです。このような領域ではkm当たりのEV運用コストが劇的に下がり、一般消費者に加え、それを活用する事業者、例えば自動運転やリース業者による価格破壊が起こるでしょう。これがアセット化を加速させるドライバーの一つとなるでしょう。TeraSpaceはアセット価値を数十年間にわたって最適化し、その上で循環型社会を実現するプラットフォームとも言えます」(緒方CEO)
人間の心臓が他人に移植されても動き続けるように、電池もまた第二、第三の人生を歩むことになります。その軌跡をデジタルで記録し、次の利用者に受け渡す設計図にすることが、TeraWattが目指す姿です。結果として、電池寿命を延ばすだけでなく、電池のリサイクル時にリサイクル業者や材料メーカーへの情報提供が可能になります。
「私たちは、電池という長寿命の生き物をデジタルで見守り、その輪廻を最適化しようとしています。ITと製造の境界をなくし、30年という時間軸を設計に組み込むなかで、ソフトウェアとハードウェアの境界が融合した製品を世に生み出していく。それがTeraWattの挑戦と真価であり、共に歩む仲間を求めています」(緒方CEO)
