1543年、ポルトガルの商人が種子島に漂着し、日本に鉄砲を伝えました。日本人はこの技術に魅了され、ただちに自国での銃の製造に着手します。設計を急速に改良し、1600年頃には世界で最も多く、かつ優れた銃を保有する国になっていました。
ところが徳川幕府は、驚くべき決断を下します。銃の生産を一部の都市に限定して政府の許可制とし、最終的には実用的な銃器をほぼ完全に排除したのです。日本は自国の軍事産業能力を、自らの手で封じることを選びました。この政策は250年間続きました。
1853年、ペリー提督率いる黒船が浦賀沖に現れ、幕府に開国を迫りました。日本には2つの選択肢がありました。近代化するか、アジアの他の国々のように植民地化されるかです。
日本は近代化を選び、世界を驚かせるスピードでそれを実行しました。明治政府は封建制度を解体し、西洋式の造船所や兵器工場を建設しました。プロイセンの軍事戦術やイギリスの海軍技術を学ぶために使節団を派遣し、国家の標語として次の言葉を掲げました。
「富国強兵」
この言葉は、同時に国家戦略そのものでした。日本は15年足らずで西洋の産業モデルに追いつきました。1905年には日本海海戦でロシア艦隊を撃破。近代史において、アジアの国がヨーロッパの列強を打ち破ったのはこれが初めてでした。開国を強いられてから、わずか50年で列強の仲間入りを果たしました。これほど急速に工業化を成し遂げた国は他にありません。

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そして歴史は繰り返します。1946年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はわずか1週間余りで憲法草案(いわゆるGHQ草案)を書き上げました。第9条は戦争を放棄するものでした。日本は再び、自らの軍事産業のポテンシャルを封じる国となりました。ただし今回は、完全に日本自身の選択ではありません。ルールを書いたのはアメリカでした。
しかしその後、アメリカは方針を転換します。歴史学者ジョン・ダワーが著書『敗北を抱きしめて』で記録したように、朝鮮戦争が勃発する前から、ワシントンはすでに日本に軍の再建を迫っていました。冷戦の時代に、平和主義は都合が悪くなったのです。ダワーはこれを「逆コース」と呼んでいます。日本を非武装化したアメリカが、一転して再軍備を求めたからです。
日本はある程度まで従いました。1954年に自衛隊を創設し、精強な防衛力を整備し、太平洋におけるアメリカの安全保障体制の要となりました。しかし、明確な一線は守り続けました。日本は自国の領土を防衛するが、海外に武力を展開することはしない。そして武器輸出国にはならない、と。
その一方で、日本の優秀なエンジニアたちは民間産業に流れ込みました。戦後世代は、軍服を着た戦時世代が成し遂げられなかったことを、背広を着て達成しようとしたのです。その成功は誰の予想をも超えるものでした。そして日本の戦後の経済成長を象徴する企業の多くは、実は軍事にルーツを持っています。しかし、その事実は今ではほとんど知られていません。
CoralのLP投資家でもあるニコンは潜水艦の潜望鏡や戦艦大和の15メートル測距儀を製造していましたが、カメラメーカーに転身しました。中島飛行機は日本最大の戦時航空機メーカーとして約2万6,000機を生産しましたが、占領軍によって解体された後、富士重工業として再生し、やがてスバルとなりました。
こうした例は枚挙にいとまがありません。エンジニアリングのDNAは変わらず、製品だけが変わったのです。

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3月初め、私はCoralのLP投資家でもある第一生命保険を訪れました。多くの人が知らずにロビーを通り過ぎますが、ここは1945年にマッカーサーがGHQを設置した場所です。若いスタッフたちがわずか1週間余りで第9条を含む憲法草案を書き上げた場所でもあります。訪問時には、当時のまま保存されている「マッカーサー記念室」を見学させてもらいました。80年後の今、まさにこの部屋で憲法が書かれた国が、今その憲法を書き換えようとしています。
2月25日、日本の与党連合は戦後長らく続いた武器輸出規制の撤廃で合意しました。護衛艦、迎撃ミサイル、戦闘機を含む防衛装備品の輸出が可能となります。政府は数週間以内に防衛装備移転三原則(武器輸出に関する基本方針)の運用指針を正式に改定する方針です。
間違いなく、日本は再軍備に向かっています。しかし、多くの人が見落としている点があります。
日本は「追いつこうとしている」のではない
欧米では、これを日本が他国に「追いつこうとしている」と描く向きがあります。しかし日本はゼロからスタートするわけではありません。2025年11月にはすでにパトリオットミサイルをアメリカに移転しています。オーストラリアは水上戦闘艦プログラムに「もがみ型護衛艦」を選定しました。フィリピンは日本の防空システム導入を検討中です。2025年には、アメリカ海軍が極超音速ミサイル計画と水上戦闘艦「コンステレーション級フリゲート」の計画を中止しました。その両方で、日本の技術が代替候補となっています。
変わったのは能力ではありません。許可です。
日本の防衛予算は今年度11兆円に達し、NATO(北大西洋条約機構)が掲げるGDP比2%の基準を予定より2年早く達成しました。防衛は現在、日本の成長戦略における17の戦略分野の1つに指定されています。防衛装備庁(ATLA)は2月27日、スタートアップの技術を防衛装備品に迅速活用することを目的とした「ファストパス調達」を発表しました。
そしておそらく最も重要なのは、2月の選挙で自民党が衆議院で316議席を獲得したことです。戦後の日本の選挙史上、単独政党として最多の議席であり、憲法改正を発議するために必要な3分の2のラインを超えています。
自民党と日本維新の会の憲法改正委員会は、1946年にGHQのもとで起草された第9条について、改正案の作成を進めています。その中心にあるのは、自衛隊を憲法に明記することです。参議院での議決と国民投票というハードルは残りますが、方向性は明白です。予算、輸出政策、調達制度、そして憲法の枠組みそのもの。あらゆるピースが同時に動いています。

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しかし本当のストーリーは、日本が防衛産業をゼロから構築するという話ではありません。日本がすでに持っている防衛能力を輸出するという話です。同盟国が何年も前から、水面下でその能力に依存してきた事実があります。
あなたが知らない日本の防衛産業
2025年12月、私は米国の防衛テック企業Andurilの日本ローンチイベントに参加しました。そこで驚いたのは、日本企業が数十社参加していたことです。その多くがすでにAndurilのサプライヤーでした。防衛サプライチェーンに参入しようとしている企業ではなく、すでにその一部だったのです。それも何年も前から。業界の外にいる人のほとんどが気づかないまま。
イベントで、創業者のパルマー・ラッキーは「キズナ」と名付けられたドローンを披露しました。すべて日本製の部品で作られています。中国製パーツはゼロ。東芝のバッテリー、日本製の精密モーター、製造工程もすべて日本です。ラッキーはこう断言しました。「すべてを自国だけで賄える国は、世界でも日本くらいだ」。このドローンはブランドとソフトウェアはアメリカですが、物理的な部品はすべて日本製です。そしてラッキーは、さらなる野心を明かしました。「次は日本の部品でアメリカ向けシステムを作るだけではない。日本で、日本のためのシステムを作ることだ」と。

この構図はドローンにとどまりません。Coralの投資先企業の1社は、最近アメリカのミサイル防衛局のSHIELDプログラムで契約を獲得し、レーガン時代のスター・ウォーズ計画以来、アメリカで最も野心的なミサイル防衛構想である「ゴールデン・ドーム」への貢献が期待されています。
もう1社のOceanic Constellationsは、海上監視のための群制御型の無人水上艇(USV)を開発しています。日本郵船グループの京浜ドックと提携して、日本の造船所として初となるUSV量産ラインを構築する計画です。日本は世界第3位の造船能力を持つ海洋国家です。自律型の海上防衛を大規模に展開したいなら、その製造基盤は日本にあります。
これらは単なる個別の事例ではありません。政策が変わる前から、アメリカの防衛産業はすでに日本に依存していたという構造の証拠です。2月25日の武器輸出規制の緩和決定は、その流れを加速させただけです。
この構造がはらむ皮肉
ここには深い皮肉があります。日本は1945年以降、実際に再軍備しました。ただし防衛目的に限ってです。厳しい輸出規制があったために、日本の防衛産業は国内完結型の構造の中に存在してきました。つまり、自衛隊向けの装備しか作れない。この制約は、思わぬ副次的効果を生みます。
兵器を輸出できなかったからこそ、優秀なエンジニアたちは民間産業に流れました。防衛が成長市場でなかったからこそ、才能はグローバルに展開できる産業、すなわち自動車、半導体、精密機械、ロボティクスへと流れたのです。
日本企業は半導体製造に不可欠なフォトレジストの世界市場の92%を占めています。製造自動化装置の市場では64%。2022年時点で、世界の産業用ロボットの45%は日本企業によって設計または製造されています。
平和主義は、結果として強みになりました。日本は80年をかけて世界で最も高度な精密製造エコシステムを構築し、今や世界最大の軍事力がそのエコシステムを必要としています。
種子島で始まったサイクルは、いま再び一周しようとしています。日本はアメリカからの外圧によって武装解除を迫られました。そして今度は、再びアメリカからの外圧によって再軍備へと動かされています。日本は軍事力を再建しましたが、そこで作られた装備を輸出することは拒みました。その結果、優秀なエンジニアの多くが民間産業へと向かい、いまではその産業が世界の最先端の兵器システムを支える基盤になっています。
これから何が起きるか
その影響は2つの方向に及びます。
まずアメリカの防衛テックスタートアップにとって、日本は「オプション」ではなく「不可欠」な存在です。ハードウェア、ドローン、衛星、自律型システム、あるいは精密製造の大規模な能力を必要とする何かを作っているなら、サプライチェーンはおそらく、自覚しているかどうかにかかわらず日本を経由しています。このことにいち早く気づき、日本のサプライヤーや共同開発パートナーとの関係を構築した企業は、競合が容易には再現できない構造的優位を手にすることでしょう。
そして日本側の問いもあります。日本はアメリカのスタートアップにサプライチェーンを提供するだけで終わるのか。それとも、自国発の防衛テックスタートアップの世代を生み出せるかどうかです。
人材は存在します。産業基盤も存在します。政府需要は急増しています。しかし課題もあります。
1つ目は資本です。日本の多くの機関投資家(LP)は、サイドレター(ファンド契約に付随する個別合意書)によって、兵器製造関連収益を主とする企業への投資を制限または禁止しています。その結果、機会を見出している日本のVCであっても、自らのファンド契約に縛られて手が出せない場合があります。デュアルユース(軍民両用)の定義が広がり、防衛が「国家安全保障インフラ」として再定義されるにつれ、状況は変わり始めていますが、依然として実質的な摩擦として残っています。
2つ目は人材です。日本の防衛産業は長く、三菱重工業、川崎重工業、IHI、三菱電機、NECといった巨大企業が支配してきました。これらの企業内のエンジニアリング人材は世界トップクラスです。しかし、その人材の一部が大企業を離れてスタートアップを立ち上げ始めない限り、防衛テックのエコシステムは発展しないでしょう。
アメリカではPalantir、SpaceX、あるいは政府機関からエンジニアが飛び出し、Anduril、Shield AI、Hermeusといった企業を創業したことで、防衛テックの波が生まれました。日本でも同様の人材移動が起きるかどうかは、インセンティブ構造、調達の仕組み、そして文化が変化し、大手企業での終身雇用に代わる現実的な選択肢として起業が成り立つようになるかどうかにかかっています。
日本が自国の軍事産業能力を封じたのは、これが初めてではありません。最初は250年かけて元に戻しました。2度目は80年です。産業基盤が消えたことは一度もありません。ただ、軍艦の代わりに自動車と半導体を作っていただけなのです。
そして今、日本はその3つすべてを作っています。
