言語の壁が消えた。それは脅威か、それとも機会か

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Written by James Riney
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参入障壁は、消えつつあります。

スタートアップの世界では長らく、日本市場には「自然な防波堤」があると信じられてきました。言語の壁、商習慣の特殊性、規制の複雑さ。海外のプロダクトが日本に来るには、相当なローカライズコストと時間がかかる。だから国内のスタートアップは、その防波堤の内側で事業を育てる時間を持てた。少なくともそういう前提で、多くの人がビジネスを設計し、投資家が投資判断を下してきました。

その前提が、静かに崩れています。

Coral CapitalのYouTubeチャンネルでは、6月17日に「AI時代のスタートアップ業界」をテーマにしたトークセッションの動画を公開しました。登壇したのは、Coreline Ventures・SBIインベストメント・ainの3社のベンチャーキャピタリストたちです。

その中で、Coreline Venturesの原健一郎さんが端的に表現していました。「日本版をやろうと言っていたのが、本家がそのまま来てしまうのが増える」と。これは単なるトレンドの話ではなく、日本のスタートアップエコシステムのディフェンス前提が崩れつつあるということです。

「日本版をやろう」の時代は終わった

AIによって翻訳コストが事実上ゼロになり、プロダクトのローカライズにかかる工数が激減し、採用もリモートで国境をまたいで進められる。シリーズAやBの段階から、アメリカのスタートアップが日本市場を最初から射程に入れて動き始めています。OpenAIもAnthropicも、早々に日本オフィスを構えました。Salesforceが日本で大きな成功を収めてきたという実績もある。AIによって参入コストが下がった今、「日本版をやろう」と探していた会社が、「本家がそのまま来る」に変わる。原さんの見立てです。

もちろん、すべての領域の障壁が一夜にして消えるわけではありません。税制や労働法規に深く絡む会計・人事系のソフトウェアには、まだ相応の摩擦が残っています。しかし「今は障壁がある」という観測と、「今後もその障壁が持続する」という確信は、まったく別の判断です。障壁がいつ消えるかではなく、障壁が消えた後に何が残るかを設計する。それが今、日本のスタートアップに突きつけられている問いです。

競合は国内にいるという前提で市場を見ていると、ある日突然、財布の規模が桁違いの海外プレイヤーが採用市場にも顧客市場にも同時に現れる。原さんが率直に口にしていたのは、投資先の採用競合になることへの懸念です。調達額が大きければ報酬条件も変わる。同じ土俵で戦おうとすること自体、ハンディキャップを背負うことになります。

AIが変える、採用の方程式

海外プレイヤーとの競争は、顧客獲得より先に採用市場で始まるかもしれません。だからこそ、参入障壁の議論以上に重要なのが、人材とキャリアの変化です。

ainの水本尚宏さんが言っていたフレームは、シンプルですが鋭い。「払える総人件費は一緒。1000万円の人を10人雇うか、5000万円の人を2人雇うか」。AIが組織に浸透すれば、同じ人件費の総枠の中で企業はより少ない人数でより大きな成果を出そうとする。その結果として、「コモンなスキルを持つ人材10人」より「希少な判断力を持つ人材2人」を選ぶ方向に、採用の重心が移っていく。

Coralでも最近、採用プロセスにひとつルールを加えました。「人を採用する前に、まずなぜAIでできないのかを書く」というものです。最初は採用コストを抑えるためのオペレーション上の工夫として導入したのですが、実際にやってみると、これは組織が本当に必要としている仕事の輪郭を問い直す作業でもありました。AIで代替できない仕事が何かを先に定義する。その問いを立てるだけで、採用の基準が根本から変わります。SBIインベストメントの加藤由紀子さんも、SBIグループ全体として来年から採用を大幅に絞ると話していました。これは一社の話ではなく、大企業全体に広がるトレンドの予兆だと見ています。

今求められているのは「AIが使える人」でも「AIに代替されない人」でもない、と水本さんは言います。AIを手足として使いながら、AIには下せない判断を積み重ねられる人です。「希少な人材ほど教師データも少ない」という水本さんの言葉は、核心を突いています。多くの人がやっている仕事ほどAIに代替されやすく、誰もやっていない仕事ほどAIが苦手とする。希少性とは、その人の判断や経験が学習データとして薄い領域にあるということです。

「次のトヨタ」を作る人材はどこにいるのか

私はずっと悔しいと思っていることがあります。日本からはまだ、トヨタやソニーに匹敵する数兆円のスタートアップが生まれていません。数千億の会社は出始めている。しかし数兆円はまだです。Coralが投資したいのは、次の時代のソニーやトヨタを作ろうとしている創業者たちです。その壁を越えるために何が必要かを考えると、どうしても人材の話に行き着きます。

加藤さんが指摘していたのは、ディープテック領域における経営人材の決定的な不足です。研究者やエンジニアが技術シーズを持って創業するケースは増えている。しかし、その技術を事業としてスケールさせるために必要な、技術もわかってマネジメントもできる人材が圧倒的に足りない。

その根にあるのは、水本さんが指摘した終身雇用の問題です。日本の大手メーカーや大企業に在籍する優秀なエンジニアが、スタートアップに来ない。興味がないわけではない。出たら戻りにくい、戻ってきたときに不利になる、というカルチャーが残っているから動けない。その結果、ディープテック系のスタートアップではエンジニアの半数が海外国籍という会社が珍しくなくなっています。日本の技術基盤を使って、日本のスタートアップが世界と戦おうとしているのに、その担い手が日本人でないという皮肉な構図です。

見落とされているのは、日本にはすでに世界と戦える産業基盤があるという事実です。半導体材料、ロボティクス、精密製造。日本は消費者からは見えにくいサプライチェーンの奥深くで、世界の産業インフラの物理レイヤーを長年支えてきました。能力がないのではありません。その能力を起点にグローバルへ打って出ようとする起業家が、まだ少なすぎるのです。

一方で、希望を感じる変化もあります。水本さんが指摘していた通り、役職定年を迎えた55歳前後のシニアエンジニアがスタートアップに飛び込むケースが増えています。大手で平役に戻るくらいなら、という動機です。以前にも書きましたが、日本人の健康寿命は世界最高水準で約73歳。55歳で飛び込んでも、なお15年以上のキャリアが残っています。

かつて韓国と中国の産業が早く立ち上がった背景のひとつに、定年退職した日本人エンジニアの存在があったという話は、悔しいですが事実です。その人材を今度は日本国内で活かせるなら、それは本物の構造変化だと思っています。

AIが壊したのは言語の壁だけではありません。「まず日本で成功してから海外へ」という順番そのものです。日本のスタートアップは、防波堤の内側ではなく、最初から世界市場の入り口に立っています。日本の産業基盤を武器に、グローバルを前提として事業を設計する。国内市場はゴールではなく、出発点です。課題の多さは否定しません。ただ私は、日本がこの局面で本物の勝機を持っている国だと確信しています。

Coral CapitalのYouTubeで公開した動画には、ここでは触れられなかった論点がまだあります。AIプロダクトの売上をどう読むか、どの領域にチャンスがあるか、人材としてどこに賭けるか。ベンチャーキャピタリストたちが見る「AI時代の景色」の全編は、ぜひ動画でご覧ください。

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